小さな子どもがいる若い夫婦の家を仕事で訪ね、そのまま夕飯までよばれて旦那さん手作りの海老チリなどをご馳走になった。友人でもない来訪者に対する二人の温かいもてなしが気持ちよく、その日家に帰って眠った私は、翌日目覚めたときに、安らぎ、幸福感に満ち満ちた不思議な感覚にあった。訪ねた家には、ご夫婦と小さな子どもの幸せな感情、日々の生活に対する明るい気持ちみたいなものが一杯で、そのオーラが、幸せで満ち足りた気持ちを私にしみ込ませたからだと思う。もう、10年くらい前のことです。
数日前に、これと真逆の体験をした。死別の悲しみを語る場に参加。グリーフサポートグループという。夫や妻を亡くした人、わが子や両親、親しい人を失った人……。参加したそれぞれが自分の気持ちに向き合い、「悲しみ」などとはとても言い表せない複雑な心境を吐露していく。自分で話すことは正直辛い。加えて、人の悲しみを聞くのも相当にきつい。話すことでよみがえる、自分の悲しみ痛みの感情に加え、そこにいる人たちが抱える悲痛さや絶望感が、やがて何重にも渦を巻き、巻き込まれていくような感覚。
帰宅し、眠りについて目覚めた翌朝……起きれなかった。身体が重く、締めつけられるよう。その翌日は……自分が死ぬ夢を見た。そしてその翌日も……。
人は、良くも悪くも人の気持ちに影響を受けながら生きている。私自身、人の喜怒哀楽の感情にゆさぶられながら生きている。それなら、心から喜びや幸せを感じ、そのオーラをパラパラと振りまける、そんな人が増えていけばいいのだけれど……。いや、実際には難しいです、「私、幸せ!」みたいな素振りでは、実効力ないからね。豊かな社会というのは、そういうオーラに満ちた社会なんだろうし、そういうオーラに満ちていれば、人の悲しみや怒りの感情も包み込んでいけるだろうに。
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