2010年2月8日月曜日

さみしいオシドリ


 仲むつまじい夫婦を「おしどり夫婦」というように、とりわけつがいの象徴に見られるオシドリ。それがどうしたのだろう、ポツンといる。雄だけが。
 尾羽がオレンジ色、首まわりに赤いふさふさが付いていて、嘴も赤みがかり、やたら派手に見えるカモ科の水鳥。オシドリは、漢字だと鴛鴦。派手な外見と同様、漢字の場合も、手書きじゃとても書けない画数。写真だと首を引っ込めているからわからないけれど、首をまっすぐにすると頭が妙に大きくて、おまけに頭部の羽のふさふさがよけいに頭部をでかく見せるので、外見のバランスが悪いことこのうえない。歩くと、頭から突っ転ぶんじゃないかと思うくらい。
 と、そんなことはどうでもよくて、オシドリが単体でここにいることが、ともかく不思議。未婚化、晩婚化はオシドリ界にも及んでいるのか。そうじゃなくて、婚活に入る目前だったのか。このとき、彼のまわりには、カルガモやオナガガモがウロウロしていた。ヨソの種族を、自分の仲間と勘違いして一緒に行動しようとしていたのだろうか。‘一人’恥ずかしそうに、いたたまれない感じで、善福寺川を行き来していた。
 ところで、オシドリの未婚化問題を言うより、そもそも善福寺川でオシドリを見かけること自体、先に驚くべきでした。「今日の歓び」というより「今年の冬の悦び」くらいの出来事。渓流とか河川の上流域とか、水がきれいで人があまりいないところにいるといわれている鳥が、住宅地の、細々と流れる善福寺川にいることを素直に喜ぶべきか、「どうしちゃったんだろう」と不安をよぎらせるべきか――。見かけたのは2月4日。その翌日もいたけれど、以降はどこかに飛んでいってしまったもよう。

2010年1月31日日曜日

ダイサギ再会


 やることがあるんだけどぜんぜんやる気が起きず→だらだら時間ばかり過ぎ→状況は悪化→さらにやる気がなくなる、という悪循環。こんなときは歩いてすぐの善福寺川へ逃避しに行くことにしている。うろうろしているオナガガモやカルガモに会えるからね。
 今日も、彼ら彼女らは、川面に頭を突っ込んで食事したり、首を背中に回して丸まって休んでいたり、若いのは追いかけっこしたりと飽きない様子。写真は、ほぼ逆立ち状態で頭をもぐらせているオナガガモ。あともう少し前のめりになって一回転してほしいとひそかに願うも叶わず。
 
 で、いつものレギュラー陣を楽しんで見てたのだけど、今日はカモたちがかすんでしまう特別ゲストが飛来していた。遠くからでも白く目立つダイサギ。また会ったね。橋のすぐ下で、じっとたたずんでいた。大きく、カタチが美しく存在感もあるから、川面をうろついているカモは、どうしてもオマケに見えてしまう。ダイサギは、じっと水の流れを見つめたまま。もう慣れているのか、人が通ろうが、声をかけようが、写真を撮ろうが、子ガモ集団が脇をうろうろしようが、感知せず。このまま善福寺川に居ついてほしい、ぜひ。
 ダイサギをやり過ごしてさらに歩くと、カモに似ているけど、善福寺川では見慣れない水鳥を発見。おそらくカイツブリ? 白と黒とグレーの3色コントラストがとても美しい。そして、潜水の名手。夫婦で、水にもぐっては川底をあさり、5秒後くらいに川面に顔を出し、またもぐっては……を繰り返していた。

 (2/8)訂正。「カイツブリ」ではなく、カモ科のキンクロハジロのもよう。キンクロハジロは漢字だと金黒羽白になる。目は黄色くて、見かけは黒っぽくて、羽を広げると白っぽい。見たまんまの漢字表記。

2010年1月19日火曜日

目覚めの幸福

 小さな子どもがいる若い夫婦の家を仕事で訪ね、そのまま夕飯までよばれて旦那さん手作りの海老チリなどをご馳走になった。友人でもない来訪者に対する二人の温かいもてなしが気持ちよく、その日家に帰って眠った私は、翌日目覚めたときに、安らぎ、幸福感に満ち満ちた不思議な感覚にあった。訪ねた家には、ご夫婦と小さな子どもの幸せな感情、日々の生活に対する明るい気持ちみたいなものが一杯で、そのオーラが、幸せで満ち足りた気持ちを私にしみ込ませたからだと思う。もう、10年くらい前のことです。

 数日前に、これと真逆の体験をした。死別の悲しみを語る場に参加。グリーフサポートグループという。夫や妻を亡くした人、わが子や両親、親しい人を失った人……。参加したそれぞれが自分の気持ちに向き合い、「悲しみ」などとはとても言い表せない複雑な心境を吐露していく。自分で話すことは正直辛い。加えて、人の悲しみを聞くのも相当にきつい。話すことでよみがえる、自分の悲しみ痛みの感情に加え、そこにいる人たちが抱える悲痛さや絶望感が、やがて何重にも渦を巻き、巻き込まれていくような感覚。
 
 帰宅し、眠りについて目覚めた翌朝……起きれなかった。身体が重く、締めつけられるよう。その翌日は……自分が死ぬ夢を見た。そしてその翌日も……。

 人は、良くも悪くも人の気持ちに影響を受けながら生きている。私自身、人の喜怒哀楽の感情にゆさぶられながら生きている。それなら、心から喜びや幸せを感じ、そのオーラをパラパラと振りまける、そんな人が増えていけばいいのだけれど……。いや、実際には難しいです、「私、幸せ!」みたいな素振りでは、実効力ないからね。豊かな社会というのは、そういうオーラに満ちた社会なんだろうし、そういうオーラに満ちていれば、人の悲しみや怒りの感情も包み込んでいけるだろうに。

2010年1月17日日曜日

天使のまゆげ


 やっと見つけた。藤原新也さんの写真コラム『藤原悪魔』(文藝春秋)。10年くらい前に買って読んで、その後どこに置いたか忘れてタイトルも思い出せないでいた。最近むしょうに読み返したくてたまらなくなって、しょうがない買いなおそ、と思っていたら書棚から現れた。
 この本は、アジアやヨーロッパや日本のあちこちを訪れた藤原さんが、各地で体験したちょっと不思議な出来事、忘れがたい思い出などをつづっている。1990年代に日本で起きたきな臭い事件が題材のコラムもあるけれど、野良犬や野良猫、などの動物と交流する話のほうが印象的。
 で、一番読み返したかったのは、冒頭コラム「マユゲ犬の伝説」。藤原さんがバリ島で出会った、太い「眉毛」のある犬のお話。このマユゲ犬の顔写真が表紙カバーに載っていて、初めて手にとったときは愛くるしい表情に一撃された。なので、ただただ写真に見とれて文章は飛ばし読み。けれど、コラム中の「天使のまゆげ」という言葉だけは頭の片隅に残っていて、はて、なぜ「天使のまゆげ」なのかということが、ずっと気になっていた。
 インドネシアのバリ島で撮影仕事をしていた藤原さんは、山奥の村に「人間のような眉毛」のある犬がいると聞いて探しに出かける。村にたどり着き、村の人々に尋ねるものの、誰もが「ホワーッ」と笑うばかり。ふと村の広場に寝そべっていたしょぼくれ犬に目をやる。顔を上げ、尾を振って近づいてくるその犬にはくっきりとした「眉毛」。マユゲ犬だった。
 あるとき村の人が、いたずら心からマジックペンで犬に太眉を描いた。消えてはまた描いた。いつしか、犬は村の人から笑われ親しまれるようになった。これがマユゲ犬の由来だと知った藤原さんは、バリ島の犬は普通、人に愛嬌をふりまいたりしないのに、マユゲ犬がニコニコしながら尾を振って近づいてくる理由を次のように論考する。

 したがってである。このマユゲ犬は他のバリ犬とは一線を画して人々から常に笑顔を投げかけられつつ成育したわけだ。彼の顔が面白いがゆえにたいがいのニンゲンは彼の顔を見て笑う。
 かくして赤子が母親の笑顔に反応して笑顔をかえすように、マユゲ犬と人間の笑顔の交流がここにはじまった。わたしはそう思う。
 むかし人格は他者によって作られると言った人がいたが、犬格もまたこのように他者によって形成されることが、このマユゲ犬によって証明されたと言える。そこにマユゲがあるというたったそれだけのことで人と犬とはめでたく和解し、心を温め合い、この世界の一隅を平和のオーラで染め上げる。私はこれを“天使のマユゲ”と呼びたい。

   君、天使のマユゲを消したもうことなかれ。
   君、天使の心のマユゲを失うことなかれ。


 今読み返してみて、なにゆえ「天使」のマユゲなのかをしっかりと受け止める。世界の片隅を平和のオーラで染め上げる「天使のマユゲ」。マユゲ犬はもちろん、人自身も、人と人、周囲との関係のなかで、笑顔を、平和を、幸福をつくり上げる。