3月から突然、英語の勉強を始めた。ちゃんと学校にだって通う。
過去にも英会話スクールと、テンプル大学の英語コースで学んだことがある。仕事に使えるといいかなあ、という気持ちで。通信講座も受講した。結局、どれもお金と時間を無駄にして終わった。だから学校にはもう通うまい、英語にお金はかけまい、と思っていた。というか、漠然と「いつか仕事に役立つかも」と期待して英語を学んでも、そのいつかは絶対に来ないことが身に沁みたから。なので、仕事で英語は使わないのだ、と割り切ることにもした。
けれどもろもろの理由から、再度チャレンジを決めた。過去みたいに「時間とお金の無駄」は繰り返したくない。だからここで、英語学習のための自分ルールを、整理しとこうと思う。以下、私的英語学習のための6カ条。
その1) 楽しむマインド優先で!
今まで、「学ぶからには、ちゃんと覚えて、練習もして、それなりに時間もとって……」と、学習にキチンと向き合う気持ちが強かったと思う。これでは、もう続かない。特に今回は、仕事に使う必然性が学ぶきっかけになってはいないのだから、学習するその時間自体を楽しむようにしたいと思う。仕事合間に、ついテキスト開いちゃうとか、気になった言葉はネットで意味を調べちゃうとか、今週のレッスンが楽しみとか、そんな心持ちで向かいたいと思う。
その2) 空いた時間のちょこちょこ学習を!
早朝の1時間は確保して、とか、寝る前の30分はせめて、とか、あえて学ぶ時間を用意しないことにする。予定も立てない。そんなことしても、結局やらなくなるのは、目に見えているから。それより、今ちょっと時間空いたから、とか、コーヒー飲む片手間に、とか、レッスンの直前だけは、とか、ちょこちょこ時間をつまんでいくことにする。そのほうが、学びぐせがつくと思う。
その3) 学んだら即使うが吉!
学んだことを復習ノートにきれいに整理して充実感をかみしめるのもよいけれど、やはり使うことで覚えていくのだと思う。幸いにして、ソーシャルメディアをコミュニケーションの実践場に利用できるので、海外の「お友達」には恐縮だけれど、学んだフレーズや語彙をどんどん取り入れてポストしていこうと、今ここで決意します。
その4) 学ぶ時間を愛おしむ!
英語学習は楽しむし、ちょこちょこもやるけれど、そこにかけてる時間自体は意識して大切にする。わずかな時間でも、集中するということ。単に消化したり、義務感でかかわっていると、その時間は無意味に過ぎてしまう。意識的になるということが、とても大切なのだと思うのです。
その5) 最初の3カ月は集中しよう!
過去にほかの言語を学習した経験から、初期3カ月は学習を集中させたほうがよいと思っている。なので、初めのうちは学校に頻繁に・定期的に通うこと。
その6) 欲張るとすべてを失う!
ほかにもやっておくとよいこと、学びたいことがたくさんある。私は好奇心と空回りする意欲が高いので、気持ちの波に乗じて、あれこれ欲張らないようにしたい。上記の1)、2)、3)をキープしていれば、欲張りにはならないと思うけれど。
思いつくのは今のところ以上。これらに加えて、ちょっとした、でも具体的な目標を立てられるとよいけれど、それについては、またあらためて。
2013年3月27日水曜日
2013年3月25日月曜日
新国立劇場での着物DQN
着物で行ったんですよ。新国立劇場オペラ「アイーダ」の公演に。
昨夏に着付けを習い始め、2013年の新春歌舞伎で着物観劇初デビュー。以来、週1回くらい普段着キモノで外出するようになって、ちょっと度胸もついていた。調子に乗って新国立劇場にも着物で出かけたら、ここではさすがに目立った。
目立つ理由は、そもそも着物で来ている人が少ないということもあるけれど、そのなかで着物をお召しのご婦人は、いかにもお高そうな着物&帯を、きちんと着ているからだと思う。訪問着と袋帯=二重太鼓の方とか、明らかに観劇ならではの着こなしに慣れている方とか。その中で、いかに自分流で楽しめればよいからとはいえ、あたしが着ていたのはリサイクルの小紋に半幅帯。そして袖の長さが着物と合っていない長めの羽織。
なぜか、着物来ている人同士の視線が激しく交差している感があって、互いに余計にチェックしてしまう。考え得てみれば、歌舞伎座は、キメキメハイソなお着物婦人から、自己流着崩しファッションの人までさまざまだった。だから、まあ、なんでもありになって、チェックのしようもないということかもしれない。
ところが新国立劇場では、「きちんと着ている人」がマジョリティとなっていたから、自己流キモノの人間はみだしものになる。そして、まさにそれがあたしだった。
着物の着方自体は、時代の中でものすごく変遷している。だから「これが正しい着方」ということは正直、誰にも言えないと思う。とはいえ、基本の型やT.P.Oに合わせた美しい着方というのは、やっぱりあると思う。その微妙は判断基準をどうするか、考えてみたいなあと思った次第です。
昨夏に着付けを習い始め、2013年の新春歌舞伎で着物観劇初デビュー。以来、週1回くらい普段着キモノで外出するようになって、ちょっと度胸もついていた。調子に乗って新国立劇場にも着物で出かけたら、ここではさすがに目立った。
目立つ理由は、そもそも着物で来ている人が少ないということもあるけれど、そのなかで着物をお召しのご婦人は、いかにもお高そうな着物&帯を、きちんと着ているからだと思う。訪問着と袋帯=二重太鼓の方とか、明らかに観劇ならではの着こなしに慣れている方とか。その中で、いかに自分流で楽しめればよいからとはいえ、あたしが着ていたのはリサイクルの小紋に半幅帯。そして袖の長さが着物と合っていない長めの羽織。
なぜか、着物来ている人同士の視線が激しく交差している感があって、互いに余計にチェックしてしまう。考え得てみれば、歌舞伎座は、キメキメハイソなお着物婦人から、自己流着崩しファッションの人までさまざまだった。だから、まあ、なんでもありになって、チェックのしようもないということかもしれない。
ところが新国立劇場では、「きちんと着ている人」がマジョリティとなっていたから、自己流キモノの人間はみだしものになる。そして、まさにそれがあたしだった。
着物の着方自体は、時代の中でものすごく変遷している。だから「これが正しい着方」ということは正直、誰にも言えないと思う。とはいえ、基本の型やT.P.Oに合わせた美しい着方というのは、やっぱりあると思う。その微妙は判断基準をどうするか、考えてみたいなあと思った次第です。
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