2013年3月25日月曜日

新国立劇場での着物DQN

 着物で行ったんですよ。新国立劇場オペラ「アイーダ」の公演に。
 昨夏に着付けを習い始め、2013年の新春歌舞伎で着物観劇初デビュー。以来、週1回くらい普段着キモノで外出するようになって、ちょっと度胸もついていた。調子に乗って新国立劇場にも着物で出かけたら、ここではさすがに目立った。  
 目立つ理由は、そもそも着物で来ている人が少ないということもあるけれど、そのなかで着物をお召しのご婦人は、いかにもお高そうな着物&帯を、きちんと着ているからだと思う。訪問着と袋帯=二重太鼓の方とか、明らかに観劇ならではの着こなしに慣れている方とか。その中で、いかに自分流で楽しめればよいからとはいえ、あたしが着ていたのはリサイクルの小紋に半幅帯。そして袖の長さが着物と合っていない長めの羽織。
 なぜか、着物来ている人同士の視線が激しく交差している感があって、互いに余計にチェックしてしまう。考え得てみれば、歌舞伎座は、キメキメハイソなお着物婦人から、自己流着崩しファッションの人までさまざまだった。だから、まあ、なんでもありになって、チェックのしようもないということかもしれない。
 ところが新国立劇場では、「きちんと着ている人」がマジョリティとなっていたから、自己流キモノの人間はみだしものになる。そして、まさにそれがあたしだった。
 着物の着方自体は、時代の中でものすごく変遷している。だから「これが正しい着方」ということは正直、誰にも言えないと思う。とはいえ、基本の型やT.P.Oに合わせた美しい着方というのは、やっぱりあると思う。その微妙は判断基準をどうするか、考えてみたいなあと思った次第です。

2012年12月23日日曜日

阿字ヶ浦温泉と酒列磯前神社

7月の猛暑全盛の某日。茨城県ひたちなか市の阿字ヶ浦を訪ねました。本当は、その近くにある酒列磯前神社(さかつらいそさきじんじゃ)を訪ねるのが目的でした。ところが神社からちょっと歩いたところに、いい感じの日帰り天然温泉があることがわかって、ぜひにと立ち寄ったのでした。

阿字ヶ浦温泉「のぞみ」の露天風呂。立ち上がれば太平洋が臨めます



上野から勝田までは、常磐線特急フレッシュひたちでおよそ1時間20分。勝田で、ひたちなか海浜鉄道湊線に乗り換えます。1両で走る小さな鉄道です。この電車はスイカは使えません。ホーム入口で乗車券を購入します。

湊線に乗って、およそ25分くらいで「磯崎」という無人駅に着きます。終点は「阿字ヶ浦」。その一つ手前の駅です。

畑と民家の道を歩いていくと、前方にこんもりとした森が見えてきます。そして道に突き当たったところに、酒列磯前神社の大きな鳥居があります。


鳥居をくぐると、参道はどこまでも続く木々のトンネルです。椿を主とする自然林で、茨城県指定天然記念物になっています。


木々のトンネルは、明るく清浄な雰囲気に包まれていました。


酒列磯前神社の本殿です。創建は856年。主祭神は少彦名命(すくなひこのみこと)=えびす様、および大名持彦命(おおなもちのみこと)=大黒様だそうです。



神社から歩いて10分くらい、坂を下りていった阿字ヶ浦に天然温泉の日帰り入浴施設がありました。「のぞみ」と言います。















露天風呂がいくつもありました。お風呂から立ち上がれば、阿字ヶ浦の海も遠く眺めることができます。写真は五右衛門風呂からの風景。


2011年1月17日月曜日

日常と極限


 年末から、山の遭難モノ本を立て続けに読んでいる。きっかけは羽根田治さんの本『トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか』(山と渓谷社)。2009年7月、北海道のトムラウシで、登山ツアーに参加した18人のうち、ガイド含む8人が亡くなった。この遭難事故の経緯が、参加者へのインタビューによって明らかにされていく。暴風雨に見舞われた参加者たちは、次々と低体温症にかかって動けなくなる。でも、低体温症などというものを認識していたのはほんのわずかな人だけ。突如、生死の修羅場に放り出されたのは、単に趣味が山登りという、元気なおじさん、おばさんたち。そこは、危険を当たり前とするアルピニストたちが繰り広げる特別な世界ではなく、あくまで日常ワールドの延長。だから、いきなり死にさらされる極限の状況が際立って怖い。

2010年2月8日月曜日

さみしいオシドリ


 仲むつまじい夫婦を「おしどり夫婦」というように、とりわけつがいの象徴に見られるオシドリ。それがどうしたのだろう、ポツンといる。雄だけが。
 尾羽がオレンジ色、首まわりに赤いふさふさが付いていて、嘴も赤みがかり、やたら派手に見えるカモ科の水鳥。オシドリは、漢字だと鴛鴦。派手な外見と同様、漢字の場合も、手書きじゃとても書けない画数。写真だと首を引っ込めているからわからないけれど、首をまっすぐにすると頭が妙に大きくて、おまけに頭部の羽のふさふさがよけいに頭部をでかく見せるので、外見のバランスが悪いことこのうえない。歩くと、頭から突っ転ぶんじゃないかと思うくらい。
 と、そんなことはどうでもよくて、オシドリが単体でここにいることが、ともかく不思議。未婚化、晩婚化はオシドリ界にも及んでいるのか。そうじゃなくて、婚活に入る目前だったのか。このとき、彼のまわりには、カルガモやオナガガモがウロウロしていた。ヨソの種族を、自分の仲間と勘違いして一緒に行動しようとしていたのだろうか。‘一人’恥ずかしそうに、いたたまれない感じで、善福寺川を行き来していた。
 ところで、オシドリの未婚化問題を言うより、そもそも善福寺川でオシドリを見かけること自体、先に驚くべきでした。「今日の歓び」というより「今年の冬の悦び」くらいの出来事。渓流とか河川の上流域とか、水がきれいで人があまりいないところにいるといわれている鳥が、住宅地の、細々と流れる善福寺川にいることを素直に喜ぶべきか、「どうしちゃったんだろう」と不安をよぎらせるべきか――。見かけたのは2月4日。その翌日もいたけれど、以降はどこかに飛んでいってしまったもよう。

2010年1月31日日曜日

ダイサギ再会


 やることがあるんだけどぜんぜんやる気が起きず→だらだら時間ばかり過ぎ→状況は悪化→さらにやる気がなくなる、という悪循環。こんなときは歩いてすぐの善福寺川へ逃避しに行くことにしている。うろうろしているオナガガモやカルガモに会えるからね。
 今日も、彼ら彼女らは、川面に頭を突っ込んで食事したり、首を背中に回して丸まって休んでいたり、若いのは追いかけっこしたりと飽きない様子。写真は、ほぼ逆立ち状態で頭をもぐらせているオナガガモ。あともう少し前のめりになって一回転してほしいとひそかに願うも叶わず。
 
 で、いつものレギュラー陣を楽しんで見てたのだけど、今日はカモたちがかすんでしまう特別ゲストが飛来していた。遠くからでも白く目立つダイサギ。また会ったね。橋のすぐ下で、じっとたたずんでいた。大きく、カタチが美しく存在感もあるから、川面をうろついているカモは、どうしてもオマケに見えてしまう。ダイサギは、じっと水の流れを見つめたまま。もう慣れているのか、人が通ろうが、声をかけようが、写真を撮ろうが、子ガモ集団が脇をうろうろしようが、感知せず。このまま善福寺川に居ついてほしい、ぜひ。
 ダイサギをやり過ごしてさらに歩くと、カモに似ているけど、善福寺川では見慣れない水鳥を発見。おそらくカイツブリ? 白と黒とグレーの3色コントラストがとても美しい。そして、潜水の名手。夫婦で、水にもぐっては川底をあさり、5秒後くらいに川面に顔を出し、またもぐっては……を繰り返していた。

 (2/8)訂正。「カイツブリ」ではなく、カモ科のキンクロハジロのもよう。キンクロハジロは漢字だと金黒羽白になる。目は黄色くて、見かけは黒っぽくて、羽を広げると白っぽい。見たまんまの漢字表記。

2010年1月19日火曜日

目覚めの幸福

 小さな子どもがいる若い夫婦の家を仕事で訪ね、そのまま夕飯までよばれて旦那さん手作りの海老チリなどをご馳走になった。友人でもない来訪者に対する二人の温かいもてなしが気持ちよく、その日家に帰って眠った私は、翌日目覚めたときに、安らぎ、幸福感に満ち満ちた不思議な感覚にあった。訪ねた家には、ご夫婦と小さな子どもの幸せな感情、日々の生活に対する明るい気持ちみたいなものが一杯で、そのオーラが、幸せで満ち足りた気持ちを私にしみ込ませたからだと思う。もう、10年くらい前のことです。

 数日前に、これと真逆の体験をした。死別の悲しみを語る場に参加。グリーフサポートグループという。夫や妻を亡くした人、わが子や両親、親しい人を失った人……。参加したそれぞれが自分の気持ちに向き合い、「悲しみ」などとはとても言い表せない複雑な心境を吐露していく。自分で話すことは正直辛い。加えて、人の悲しみを聞くのも相当にきつい。話すことでよみがえる、自分の悲しみ痛みの感情に加え、そこにいる人たちが抱える悲痛さや絶望感が、やがて何重にも渦を巻き、巻き込まれていくような感覚。
 
 帰宅し、眠りについて目覚めた翌朝……起きれなかった。身体が重く、締めつけられるよう。その翌日は……自分が死ぬ夢を見た。そしてその翌日も……。

 人は、良くも悪くも人の気持ちに影響を受けながら生きている。私自身、人の喜怒哀楽の感情にゆさぶられながら生きている。それなら、心から喜びや幸せを感じ、そのオーラをパラパラと振りまける、そんな人が増えていけばいいのだけれど……。いや、実際には難しいです、「私、幸せ!」みたいな素振りでは、実効力ないからね。豊かな社会というのは、そういうオーラに満ちた社会なんだろうし、そういうオーラに満ちていれば、人の悲しみや怒りの感情も包み込んでいけるだろうに。

2010年1月17日日曜日

天使のまゆげ


 やっと見つけた。藤原新也さんの写真コラム『藤原悪魔』(文藝春秋)。10年くらい前に買って読んで、その後どこに置いたか忘れてタイトルも思い出せないでいた。最近むしょうに読み返したくてたまらなくなって、しょうがない買いなおそ、と思っていたら書棚から現れた。
 この本は、アジアやヨーロッパや日本のあちこちを訪れた藤原さんが、各地で体験したちょっと不思議な出来事、忘れがたい思い出などをつづっている。1990年代に日本で起きたきな臭い事件が題材のコラムもあるけれど、野良犬や野良猫、などの動物と交流する話のほうが印象的。
 で、一番読み返したかったのは、冒頭コラム「マユゲ犬の伝説」。藤原さんがバリ島で出会った、太い「眉毛」のある犬のお話。このマユゲ犬の顔写真が表紙カバーに載っていて、初めて手にとったときは愛くるしい表情に一撃された。なので、ただただ写真に見とれて文章は飛ばし読み。けれど、コラム中の「天使のまゆげ」という言葉だけは頭の片隅に残っていて、はて、なぜ「天使のまゆげ」なのかということが、ずっと気になっていた。
 インドネシアのバリ島で撮影仕事をしていた藤原さんは、山奥の村に「人間のような眉毛」のある犬がいると聞いて探しに出かける。村にたどり着き、村の人々に尋ねるものの、誰もが「ホワーッ」と笑うばかり。ふと村の広場に寝そべっていたしょぼくれ犬に目をやる。顔を上げ、尾を振って近づいてくるその犬にはくっきりとした「眉毛」。マユゲ犬だった。
 あるとき村の人が、いたずら心からマジックペンで犬に太眉を描いた。消えてはまた描いた。いつしか、犬は村の人から笑われ親しまれるようになった。これがマユゲ犬の由来だと知った藤原さんは、バリ島の犬は普通、人に愛嬌をふりまいたりしないのに、マユゲ犬がニコニコしながら尾を振って近づいてくる理由を次のように論考する。

 したがってである。このマユゲ犬は他のバリ犬とは一線を画して人々から常に笑顔を投げかけられつつ成育したわけだ。彼の顔が面白いがゆえにたいがいのニンゲンは彼の顔を見て笑う。
 かくして赤子が母親の笑顔に反応して笑顔をかえすように、マユゲ犬と人間の笑顔の交流がここにはじまった。わたしはそう思う。
 むかし人格は他者によって作られると言った人がいたが、犬格もまたこのように他者によって形成されることが、このマユゲ犬によって証明されたと言える。そこにマユゲがあるというたったそれだけのことで人と犬とはめでたく和解し、心を温め合い、この世界の一隅を平和のオーラで染め上げる。私はこれを“天使のマユゲ”と呼びたい。

   君、天使のマユゲを消したもうことなかれ。
   君、天使の心のマユゲを失うことなかれ。


 今読み返してみて、なにゆえ「天使」のマユゲなのかをしっかりと受け止める。世界の片隅を平和のオーラで染め上げる「天使のマユゲ」。マユゲ犬はもちろん、人自身も、人と人、周囲との関係のなかで、笑顔を、平和を、幸福をつくり上げる。