ベランダに面したガラス戸を前に、床に座り込んで書類を片付けていた。今日はお天気。庭の一画は陽光が差し込んで、あったかい黄色になっている。なんて、庭を眺めていたら、強烈な視線とぶつかった。白黒模様をしたやわらかいカタマリ。そろり、そろり、しっかり目線を合わせながら、近づいてくる。んんんっ!? 見覚えのある姿。そうそう、庭の塀の上をたまに歩いていく、白黒ブチのしっぽが長~い猫。素通りはせず、必ずいったん止まり、キッと睨んでからすたすたと立ち去っているのが常。その奴が、今日はなぜか塀から庭に下り、いつものガン飛ばしの相手に向かってゆっくり近づいてくる。芝生の上を過ぎ、洗濯物干しをくぐり、やがてガラス戸の前へ。じっと睨んだうえで「一応、確認したから」と言って庭の右手に向っていった。でも、振り返ってガンを飛ばすことは忘れない。そのまま、庭から消え去るかと思いきや「やっぱり、気が変わった」と言って左側に向きをかえ、あったかい芝生の上でしばらくもじもじした後、壁の下をくぐって消えていった。
何をしたかったのだろう。
2009年11月21日土曜日
2009年11月16日月曜日
「思いがけないめぐり会い、またはメッカの巡礼」
昨日、グルックのオペラ「思いがけないめぐり会い、またはメッカの巡礼」を観る。北とぴあ さくらホールにて。企画は「北とぴあ国際音楽祭」。2006年から毎年、モーツァルトより古い時代の作曲家のオペラを取り上げ、当時のオリジナル楽器を使って上演している。ハイドン、モンテヴェルディ、ハイドンと来て、4回目の今年はグルックの登場。グルックは1714年に生まれ、1787年に没した作曲家で、主にオーストリアとフランスで活躍した(wikipediaによれば)。
この音楽祭が楽しいのは、上演されるオペラにいつも嬉しく驚ろかされること。例えば、「ハイドン」なり「グルック」なりの作曲家に定着させていたイメージを、楽しくくつがえしてくれる。今回のグルックには、たんたんんとした――まあ、美しいけれど、古い時代の単調なメロディばかり――のイメージがあった。でも実際に昨日のオペラを観ると、楽しくて表現豊かな曲もたくさん作った人なんだということがわかる。後世に残ったグルックの有名な曲は、あたり前だけれど、この作曲家のほんの一部の作品でしかない。実は、同じことを、昨年上演されたハイドンのオペラ「騎士オルランド」を観ても感じたのだっけ。
それと今年、また嬉しい発見だったのは、モーツァルトというのは、突発的に現れた大天才ではなく、グルックやハイドンら大先輩たちを学んだり真似たりしたうえで才能を開花させたということ。グルックのオペラ「~めぐり会い」やハイドンの「騎士オルランド」は、その後のモーツァルト作品「後宮からの逃走」や「魔笛」を彷彿とさせる。それと「~めぐり会い」には、モーツァルトのレクイエムに登場するフレーズが出てくるのだって(気づかなかったけれど)。天才は1日にしてならず。先達たちが積み上げてきたものを学び真似して自分のものとして昇華させたモーツァルト。後の時代の私たちは(特に日本では)、西洋音楽史の脈絡なくいきなりモーツァルトを聴くから彼の天才性がより際立ってしまうけれど、いやいや、モーツァルトの前にも多くの素晴らしい作曲家たちがいた。
いつの時代の、どんな分野にでも言える。優れたものを生み出すには、先達にひたすら学び、真似し、研鑽するしかない。
2009年11月14日土曜日
2009年11月12日木曜日
ケケケケケ。
味の限界域
口にする食物はたいてい、おいしいと思って食べる。うま味感度のハードルは、人より随分下に設定されていると思う。自分でつくる料理なら、許容範囲はさらに広がる。そんな過信に輪をかけて、空腹を我慢しながら帰宅し「何だって食べれる」と思っていたのがいけなかった。
夕食に急いでつくった、豚のしょうが焼きキャベツ添え。もう何百回も料理している定番メニューなのに、完成したのは、すべての食材・調味料がそれぞれ独自主張する味のもの。レシピは厳密でも、つくり方プロセスの肝をすべてはずすとこうなるという、ある意味傑作。さらに、わざわざ合わせ味噌で仕立てた豆腐の味噌汁も、同じ結果に。加えて、スーパーで間違えて買った惣菜が、とどめの一撃。今晩の献立、最強。すべて耐え難い味の料理が並ぶ。
それでも完食。味の限界ギリギリ域にチャレンジできて、一歩前進な感。
2009年11月3日火曜日
霜降の空
2009年11月2日月曜日
朝のご近所さん
2009年11月1日日曜日
ダイサギに会えた
いたんですよ、白いのが。しかも、大ぶり。ダイサギかなあ。これよりもうちょっと小ぶりなチュウサギを、電車で1時間くらいの近郊川べりや田んぼで目にすることはある。でもここは、都内の住宅地を流れる、「溝」といっていいくらいのちゃちな小川。こんなところで、大きいのを見かけることはめったにない。ただでさえ、真っ白い姿は目立つ。ご近所お馴染みのカラスや、小川に居ついちゃったオナガガモたちと比べ、ひときわ口も首も脚も長い。だから存在感も強烈。
サギくんたちはけっこう臆病で、人が近づくとすぐに羽ばたいて飛んでいってしまう。ところが、ここにいた彼(彼女?)はじっと動かない。一心不乱に見つめる先は小魚が動く姿。写真撮らせてね、と近づいたら、飛んでこうかなあと一瞬悩んだようだけれど、食べ物探しに意を決した模様。水面をじっとにらみ、右脚を一歩、左脚を一歩、そしてまた右脚を前に出し……首をうーんと伸ばして――ばくっ! うまく行きました。ガブガブガブと小魚を飲み込む。うーん、まだ足りないらしい。同じように食べ物探しに集中していた。
水鳥図鑑を見てみると、ダイサギのような、チュウサギのような……しかも、チュウダイサギってのもいるそうな。判じがたいので、真ん中をとってチュウダイサギを見たことにする。水鳥、とりわけ首長めスラリ系が好きな私には至福の一時でした。
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